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寛永八年のロシアの日本人

 日本史でもちらっとしか習わないが、江戸時代に漂流してロシアまでたどり着き、十年後にロシアの使節と共に再び戻ってきた大黒屋光太夫という人がいる。ロビンはみなもと太郎の『風雲児たち』でその詳しい生涯を知ったのだが、光太夫という人はバイタリティとカリスマにあふれた大変な人だったようで、漂流する船の中で乗組員達を切り回し、漂着してからはロシア語を習い覚え、ありあわせの材料で船を造ってロシアまでたどりつき、現地人やロシア人の性格や風習を観察して記録し、ついには女帝エカテリーナに謁見した初めての日本人となった。それまで漂流したらロシアに帰化するしかなかった日本人漂流者は、道なき道を切り開いた光太夫とその一行によって「日本に帰る」という選択肢を得ることが出来たのである(これを口実にして日本と交易できたらいいのにナーというロシアの意図もあるけど)。
 総勢17名の漂流者オールスターズ(+猫一匹と言われておる)は、栄養失調や気候の違いやストレス、そして老衰などでひとりまたひとりと欠けていき、最終的にはロシアに帰化した新蔵と庄蔵、日本に帰国した光太夫と最年少の磯吉、小吉(根室まで来たのにそこで力尽きた)の五人が残った。光太夫も凄いけど、ロビンはここでロシアに残った日本人である新蔵の方をとりあげてみたい。
 さて、ロシアにはこれまでもたびたび日本人漂流者が来ており、そのたびに方言が違うんでナニなことにはなったが、日本に通じる航路を求め、ひいては凍り付かない港を求めていたロシアは彼らを帰化させて日本研究にいそしんでいた。帰化するだけでなく日本語教師になると優遇度がぐっと増す。光太夫一行の中で庄蔵は凍傷で片足を失って気弱になり、いちはやくロシアに帰化したが、続いて新蔵はチフスにかかり死を覚悟し、同じく洗礼を受けてロシアに帰化する。ところがしぶとく回復し、ラクスマンと共に帰国依頼を出しにペテルブルクへ向かった光太夫たちを追いかけて自力で探し出してしまった。その頃すでにロシア女性といい仲になって結婚してしまうほどロシア語に流暢だったらしい。
 光太夫達の帰国後、新蔵と同居していた庄蔵の方は今で言う鬱状態に陥り、とじこもりっきりになってしまった。その後油断するとすぐに溜まってくる日本人漂流者の世話と、新蔵の再婚(最初のロシア人妻は死亡)、ぐちぐち泣き言ばかり言う庄蔵にうんざりしてたのもあり、別居した。新蔵は全く顔を見せなくなり、庄蔵がなくなった時も葬式にすら来なかった。庄蔵と気があって、その最後を看取った儀兵衛という日本人漂流者は、日本に戻ってから新蔵のことを「不人情な人だなあと思いました」とコメントしている。
 しかしロビンは新蔵の気持ちもわからんでもない。光太夫が日本へ出立するとき、馬車を馬で追いかけ続け、別れを惜しみ続けた新蔵が薄情だとは思わない。ちょっとドライなだけなのだ。日本に帰ったらまた船乗りに戻るだけかもしれないけど、ロシアにいれば日本語教師として尊敬されるし少なくない給料ももらえるし、自分からロシア人と結婚したくらいでコミュ力も高い。「光太夫はきっと日本で有名になっているでしょうね」と、新しく来た日本人漂流者に尋ねたら「いーえ」と言われたという話が記録されている。改めて「うわあロシアに残って良かった」くらい思ったかもしれない。そういうわけで日本にはなんの未練も無かったのだが、その横でぐちぐちぐちぐち言われたら「いー加減開き直れよ」と思ってしまったかもしれない。鬱は伝染すると言われてるくらいで、「やだやだこんなんとつきあってたらこっちも鬱になっちゃう」と思って庄蔵と会うのをやめたんじゃなかろうか。言っちゃなんだけど解決が見えない泣き言ループって本当に死ぬほど鬱陶しいからね
 新蔵はその後ロシアに新しく来た日本人漂流者の中で、漢字の読み書きが出来る人、頭のいい人にロシアに帰化して日本語教師になることをすすめている(新蔵は漢字が苦手。自分より優秀かもしれない人を積極的に受け入れるあたり職務に忠実と言える)。しかし日本に帰ることを希望した乗組員にも理解を示し、彼らをよく世話し、港まで付き添って船を見送っている。配慮ができる優秀な人で、ただちょっとドライだっただけだろう。世界に出た日本人のひとりとして、光太夫と同じくらい尊敬できる人ではないだろうか。
by Robin96 | 2014-11-01 13:40
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